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婚活4/3/2026, 1:19:56 PM

「これでよかったのか?」と悩むのをやめた日——やった自分とやらなかった自分を比べるだけでいい

「これでよかったのか?」と悩むのをやめた日——やった自分とやらなかった自分を比べるだけでいい
目次(7件)

この記事で学べること

  • 「これでよかったのか?」という問いが、なぜ答えを出し続けられないのか
  • 「やった自分 vs やらなかった自分」という比較軸に切り替えると何が変わるか
  • 婚活の棚上げが、逃げではなく能動的な選択になる理由

婚活を始めて最初の3年間、毎年同じ問いを立てていた。

「これでよかったのか?」

お見合いが成談しない月が続くと出てくる。 仮交際が終わった夜にも出てくる。 答えを出そうとするが、何も決まらないまま翌年に持ち越す。

テン
テン

その問い、やめられなかったんですか?

カズハ
カズハ

やめ方がわからなかった。正しいかどうかを確かめる方法が、そもそもなかったんだ。

この記事は、その問いの替え方の記録だ。


「正しいか?」という問いの構造的な欠陥

婚活が正しい選択かどうかは、5〜10年後にしかわからない。

今年成婚できたとして、それが「正しかった」かどうかも、生きてみないとわからない。 やめた場合に何を失うかも、やめてみないとわからない。

つまり、この問いには今答えが出る構造になっていない

テン
テン

でも毎年悩んでいたんですよね? 答えが出ないとわかって、なぜ悩み続けたんですか?

カズハ
カズハ

悩むことが「考えている」という安心感を与えてくれるからだよ。答えを出せなくても、悩んでいる間は「向き合っている」気がする。

「正しいか?」は、答えを出すための問いではない。答えが出ないまま悩み続けるための問いだ。

悩むことは、思考しているように見えて、消費しているだけのことがある。


転換点: 問いを変えた

4年目のある夜、状況がうまく積み重なった。

お見合いは成談しなかった。 仮交際していた相手とも、別れた。

「次がないんじゃないか」と、初めて思った。 今までとは種類の違う感覚だった。

これまでの「正しいか?」という問いとは違う。 もっと根っこのところで、何かが揺らいでいた。

テン
テン

そのとき、どうしたんですか?

カズハ
カズハ

少し考えた。今のまま続けても、消耗するだけじゃないかって。

もし今より強い自分で戻ってきたら。 準備が整った状態で再開したら。 勝率が上がるんじゃないか、と思った。

頑張り続けることを選ばなかった。 選んだのは、婚活を棚上げして自分を強くする時間をとること。 そしてもう一つ——問いを変えることだった。

「これでよかったのか?」ではなく、 「婚活をしていない自分と比べて、どうか?」に。


比較してわかったこと

「やらなかった自分」を想像してみると、思いのほかはっきりしていた。

婚活を続けた4年間で得たものを並べると:

  • 運動習慣(健康管理を意識するようになった)
  • 「とりあえずやる」という行動方針
  • 食生活の改善
  • 会話を引き出すコミュニケーションの型
  • 自分の判断軸の言語化

これらは、婚活がなければ得られなかったかどうかはわからない。 だが、婚活という文脈があったから行動したのは事実だ。

テン
テン

婚活自体がソフトスキルの訓練になっていたってことですか?

カズハ
カズハ

結果として、そうだった。目的は成婚だけじゃなかったんだ、と気づいた。

「やらなかった自分」は実際には観察できない。 並行世界の自分と比較することはできない。

だが、現在地から逆算することはできる。

「婚活がなければ、今の行動習慣は生まれていたか?」 「週末に体を動かす理由が、他にあったか?」

その問いに対する答えは、かなりはっきりしていた。 婚活という文脈があったから動いた、という事実は消えない。

「正しいか?」という問いには答えが出なかった。 だが「やらなかった自分と比べてどうか?」という問いには、今日時点の答えが出た。

やった自分の方が、多くのものを持っていた。


棚上げは逃げではない

婚活を棚上げすることは、やめることではない。

「今の自分より強い自分で再開する」という選択だ。

テン
テン

でも棚上げって、結局やめることと同じじゃないですか? 戻ってこられるかどうかわからないし。

カズハ
カズハ

「正しいかどうか」という問いを立てたままだと、棚上げは逃げになる。でも「やらなかった自分と比べる」という軸があれば、棚上げは蓄積の時間になる。

違いは問いの向きだ。

立ち止まって「もうやめたい」と思うのと、 立ち止まって「自分を強くする期間をとる」と決めるのは、行動は同じに見えても構造が違う。

棚上げは、比較軸を変えた能動的な判断だった。


「1年後にまた判断すればいい」が続けられる構造を作った

棚上げ期間中に気づいたことがある。

1年後には、今より多くのものを持った自分がいる可能性がある。 そのとき判断すればいい。 今じゃなくていい。

テン
テン

でも毎年「また来年考えよう」を繰り返したら、永遠に決断できないのでは? 著者さんも最初の3年間、毎年同じ問いを立てていたって言ってましたよね。

カズハ
カズハ

それが先延ばしと棚上げの違いだ。先延ばしは問いから逃げること。棚上げは「自分を強くする」という具体的な目的がある。目的なしに先送りするのとは構造が違う。

1年後の自分は、今の自分より多くの比較材料を持っている。 その材料を持ってから判断する方が、精度が上がる。

「来年また考える」は、逃げではない。 **「来年の自分に、今より良い判断をさせる投資」**だ。


今悩んでいるなら

「これでよかったのか?」という問いは、答えが出ない構造になっている。

それは、あなたの考える力の問題ではない。 問いの形が、そもそも答えを許していないだけだ。

試してみる価値はあるかもしれない。

「婚活をしていない自分と比べて、何を得ているか?」

その問いなら、今日時点の答えが出る。 そしてたぶん、やった自分の方が多くのものを持っている。


続けるかやめるかは、その答えを見てから決めればいい。